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ビミョーに・・・
2008-06-25 Wed 14:01
昨日からなんとなく腰が痛い。
26日が隆一のライブだから、おとなしく安静にしていればいいのに
こんな時に限って、何やらやらかす。

うちの事務所の建て替えが決まって
「棚をかたづけて。いらないカタログも捨てて。」の指示。
まだまだ先の話だから、あせらなくてもいいのだけど
そう言われちゃうと「やらなくちゃ!!」って思ってしまうのよね。

古いカタログを紐で束ねて、ゴミ捨て場に持っていったんだけど
いっぱい重ねすぎちゃって、重い重い。
しかもゴミ捨て場が遠いし。

あれで結構腰に負担がきたわ〜。
何往復もしちゃったんだもん。

さらに、極めつけ。
棚の上の方の整理。
手が届かないもんだから、本当なら脚立を出せばいいのだけど
なにせ真からのめんどくさがり、
そばにあった、キャスター付きの家具の上にのって・・・。
本当はそんなところ乗っちゃいけないのは解ってる。
壊れちゃうかな〜?動いちゃうかな〜?と
はじめ恐る恐る乗ったんだど、けっこう大丈夫だったから
つい調子に乗って、ガタガタ一生懸命やりだしたら、
ズルッー!!
キャスターが動いた〜!!

足だけ、キャスターに乗って向こうに
身体はこっちに残って・・・・
という恐ろしいことに。
もう少しで、そのまま床に転落でしたよ。
何とか体勢を整えて大事には至らなかったけど
あのとき、確実に腰ひねったんだよね。

あー。なんだってこんな時に。
大事なことがある前に、いつもはやらないこと、するもんじゃないよね。
ものすごい後悔。

腰がビミョーに痛いんだけど、これが腰から繋がって
背中とか肩とかも痛くて
どこかかばって歩いたのか、足まで今日は痛んだ。

午後からヒーリング指圧の予約を入れておいてよかった。
(コンスタントに月1ペースで行ってます。ブログには書いていなかったけど。)

午前中はゆっくりのんびりしていたかったけど
信託銀行の人が相続のことでやってきた。
すぐに終わるのかと思ったら、丸々2時間もいたわ〜。
父の預金を母が相続したのだけど、(その手続きはこの間私がやりにいってきた。)
次の時に(つまり母が亡くなったら)税金がかかるといけないから
保険型にした方がいいという話。
すぐに使わないお金なら、そうしてしまうのが有利みたいということで
さっそく契約。
この書類の多さにはびっくり。
本人の署名じゃないといけないから、体調がずっと思わしくない母が全部自分で
書かなくちゃいけなくて、それが大変そうでした。
こういうのって、元気なうちじゃないとダメだね。
たぶん10通くらい書いたんじゃないかな。
申込みとか解約とか、説明聞いたとか、そのたびに署名するところがあるんだよね。
私が替わりに書いてあげたいけどそれじゃダメだし。
見ている方も疲れたから母はもっと疲れたらしい。

お昼食べたら、また寝てしまった。
最近、寝てばっかりなんだよ。
たぶん風邪もひいているんだと思うけど
もう少し元気になってくれないと困るなぁ。
夕方になると少し元気になって、ご飯はちゃんと食べるんだけど。

これって、鬱病のたぐいじゃないかと思うんだけど
本人は内科には行くけど、神経科には行きたがらないんだよ。
内科の先生は「検査しましょう。」って言うだけみたいで
なんだか頼りないなぁ。
もともと季節鬱がある人だから、またそれだと思うんだけどね。

でも、まじまじ顔みたら、すごく痩せていた。
こんなに痩せてたっけ?ってちょっとびっくり。
元気になったら、いろいろ連れて行ってあげたいけど
出かけるの好きじゃないみたい。

あれで昔はキャリアウーマンだったんだよ。
英文タイピストとして定年間際まで働いてたし
株やったり、ゴルフやったり、英語もペラペラだったし。
昔の人とは思えない、かっこいい人だったんだけどね。
今じゃ、見る影ないなぁ。

専業主婦だった近所の伯母さんの方が元気だよ。(親族ではないです。近所の人ね。)
ご主人亡くしても、ボーイフレンドと出歩って若返ってる。
それもどうよって感じだけど、(伯父さんさん亡くなって、まだ1年もたってないんだよ。)
元気なく家にいるよりは、本人は幸せよね。

私は元気なおばあちゃんになって、いつまでも隆のライブに
はつらつと出かけて行きたいな。
その為にもメンテナンス。メンテナンス。
今日のうちに治るといいな。

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どうもありがとうございました。
2008-04-08 Tue 09:07
お陰さまで、父のお通夜、告別式を無事に執り行うことができました。
たくさんの皆さんからの、励ましのコメントとてもうれしかったです。
また、皆さんからのお悔やみの言葉、父も大変喜んでいると思います。
本当にありがとうございました。

1月4日に意識がないと病院から電話があってから、
何度も危ないと言われつつ、乗越えて来た父でした。

「長女の卒業式の晴れ姿は見せてあげたい。それまで頑張って欲しい。」
そう願い続けておりましたが
先生にも看護師長さんにもそれは無理でしょうと言われていきました。

長女の卒業式の数日前、急激な血圧低下で、意識もなくなり本当に危なくなりましたが
それも奇跡的に乗越えてくれました。

3月15日。
長女の卒業式の晴れ姿を見せてあげられました。

その後も「今週中でしょう。」「今月中でしょう。」と言われつつ
それも乗越え
4月1日。
長女の入社式を無事に迎えられました。

4月2日。
早朝、心臓停止になりまがらも、
私が駆けつけるまでがんばってくれました。
「娘さんが着てくれたましたよ。
良かったね。会いたかったんだよね。」
そう看護師さんが父に声をかけてくれたとき
父に泣き顔を見せたくなかったのに、涙が止まらなくなってしまいました。

「ありがとう。がんばってくれて。ありがとう。」
そう言って、父の手をずっと握っていました。

夕方、次女がやってきて、もらってきたばかりの成績表を見せ
「全部単位とれたよ。」と声をかけると
(1年の時の成績がこの日にくばられてたので)
薄めしか開いていなかった目を、カッと見開きました。
よほど次女のことが心配だったのでしょうね。
次女は父が期待をしていた自慢の孫でした。

父方の従兄弟の奥さんも来てくれました。

3人で見守っていた時には、血圧も100、酸素も95%はあったので
かなり安定してました。

先生は「ここ1〜2日かな。」と言いました。
相談室のソーシャルワーカーさんも家で身体を休める方が良いと
言っていたし
従兄弟の奥さんが9時ごろもでついていてくれるといったので
一度帰ることにしました。

でも先生に「8時には病院の玄関は閉まってしまうし
職員用の送迎バスも7時10分が最後だから、それで帰りなさい。」と言われ
従兄弟の奥さんもそれで帰ることになりました。

父が危ないと電話が入ったのが、その日の夜 8時11分。
夕飯を食べ終わり、片付けをしていた頃です。
亡くなったのが8時20分。

本当に、私たちが帰るのを待っていたのではないかと思いました。
あと少し残っていたら、看取ることができたのに・・・。
そう後悔する気持ちもありますが
きっと病院でそばに付き添っていても、私が席をはずしている間とか
居眠りをしている間に逝ってしまったような気がします。

ずっと付き添っていても、家族が見ていない間に
トイレに行っている間などに逝く方が多いと
相談室のソーシャルワーカーさんに聞かされていたので。

父は最後まで、強い父でいたかったのだと思います。
長女や次女のことを見届け、
誰にも迷惑のかからない日程を選んだかのような日に亡くなりました。

大きな愛を持った、熱い人だったのだと思います。
あまりに熱いので、近くにより過ぎると暖かさが解らなかったのですね。
今は、その大きな愛が良くわかります。

『最後までがんばってくれて、ありがとう。
大きな愛、ありがとう。』

棺に入れる色紙に、そう書きました。
親族の方も、たくさん書いてくれました。


まだまだ忙しい日々が続きますが、がんばります!!

事務手続きが山のようです。
人が一人なくなるというのは大変なことなのだと
しみじみと思います。

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穏やかな時間
2008-03-19 Wed 23:55
昨日は午前中、ヒーリング指圧に行き自分のメンテナンスをしてもらった後
午後から次女と一緒に父のお見舞に行ってきました。

土曜日に長女を連れて、袴姿を見せに行った時は
意識がはっきりしていたのだけど
月曜日に夫が母を連れて行ってくれたときは、また意識がほとんどなかったと
言っていました。
孫の晴れ姿を見るのを目標にがんばってきたのだから
それが達成された今、もうがんばれなくなってしまったのかなと思いました。
そしてそれも仕方のないことだと覚悟のようなものができました。

でも、次女と行ってみると、父は目をさましていました。
熱もなく、呼吸も楽そうでした。(酸素マスクはしていました。)

「来たよ。わかる?見える?」と言うと初めは首を横に振っていた父でしたが
しばらくすると、こちらを見ているようで・・・。
「こっち、見てるよね?」「見えてるんじゃない?」と娘と話し
「おじいちゃん。見える?」と聞いてみると
今度は、うなずきました。

「土曜日、Eが卒業式だったんだよ。
夕方、袴姿おじいちゃんに見せにきたの覚えてる?」と聞いてみると
首を横に振りました。
なーんだ。せっかく見せに行ったのに、覚えていないんだー。
とちょっとがっかりしました。
でも、頭では覚えていなくても、魂はきっと覚えていてくれるよね。

「今日はRが来ているんだよ。
Rは大学の勉強が大変だけど、勉強がんばるって。」と言ったら
父はうなずいて、かすかに笑ったようでした。
父は次女の成績が良いのがずっと自慢だったんです。(今はあんまり良くないけど)
父は子供達にいつも「勉強しろ!」というけっこう うるさいおじいちゃんでした。

おじいちゃんて、普通は親が「勉強しなさい!」と言ったら
「まぁまぁそんなに勉強しなくたって、子供は元気が一番だよ。
遊んでおいで。」などというイメージがあるけれど
うちの父は、私達親よりうるさい教育おじいちゃんでした。

長女はお勉強の方はあんまり得意ではなかったのだけれど
次女は中学までは、成績が良かったので父にとっては自慢の孫だったようです。
(中学まではってとこが・・・(汗)  )
次女が勉強するっていうのが父にはうれしかったんですね。
父が笑ったのを久々に見たような気がしました。
ほんとうにかすかにでしたけど・・・。
次女にとっては、あまりうれしくなかったでしょうけどね。

もう声が出ないのに、「E、E。」と長女の名前を呼んだ様でした。
「Rは来たけれど、Eはどうした?」と言いたいのかな?と思いました。

「Eは土曜日に来たでしょ。
袴姿見せに来たよね。」ともう一度言ってみたけれど
やっぱり覚えていないようでした。


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歌の力
2008-03-16 Sun 23:23
ある病院で看護助手をしている友達から聞いた話です。

ある日、少しでも動かすと、もどしてしまうおばあさんが入院してきたそうです。
もう寝たきりで、少しでも身体の向きを変えるともどしてしまうと状態だったとか。

日に日に弱っていく母親を見て、息子さんが
少しでも元気になるようにと、大好きだった美空ひばりさんおCDを持ってきて
一日中かけて聞かせていたのだそうです。 

すると数日経つと、そのおばあさんは目こそ開けないのだけれど
目を閉じたまま、「う〜。う〜。」とうなりだしたそうで。

また数日経つと、「う〜」という うなり声が、少し変ってきて
歌にあわせてうなっているようになってきたのだそうです。
「あれ?もしかして歌っているの?」と思っていると・・・

また数日で、ごにょごにょと何か口の中で歌っているような雰囲気になり
ついにはちゃんと歌えるようになって、ご飯も食べられるようになり
元気に退院して行ったのだそうです。

これってすごいですよね。
歌の持つ力を感じました。

うちの父の痴呆が始まった時、得意で唄っていた民謡を聞かせて
ボケ防止をしようと思ったのだけど
もともと音楽を聴く趣味のない人だったので
せっかく聞かせても「もう、いい。」と言って、ぜんぜん喜んでくれなかったのよね。

話に聞いた、おばあさんのように元気になってもらいたかったのだけど。

でも、父の痴呆はA病院に入院した時は気が狂ってしまったのかと思うほど
ひどくなっていたけど(監禁されていると思い込んでいた。
M病院へ移ってからは、ちゃんと自分が入院していることもわかっていたし
母や私のこともちゃんとわかるし、それほどひどくはならなかったようです。
「娘のこともわからなくなる。」と聞いていたので
そこまでひどくならなくて良かったです。
環境って本当に、重要なんだね。
身を持って体験したという感じです。

このおばあさんの話を聞いた時、娘達に頼みました。
「もし、ママがボケちゃったら、隆ちゃんのCD聴かせてね。
きっと正気に戻るから、隆ちゃんを追いかけていた時のこと思い出すから。」

隆のこといつまでも追いかけていたら
ボケてる暇はないかも〜。
それには隆ちゃんに いつまでも元気で、かっこよくいてもらわなくちゃね。
そして良い楽曲をたくさん作ってもらって、いつまでも素敵な歌を歌い続けて欲しいです。

歌の力で日々癒されて、歌の力でボケ防止。
それも大好きな人の歌だから、力を持っているんでしょうね。
今の生活も隆にたくさん癒してもらっています。

大好きな隆がいて本当に良かったわ。
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危ないところでした。
2008-03-12 Wed 21:02
今日の父は落ち着いていましたが、昨日、実は危ないところでした。
持ち直してくれて、本当に良かったです。

先週の水曜日は、酸素マスクをしていたけれど
はっきり目を開けて私を見ていましたし、
「帰って良いよ。」の「か・・・」も出ていたので
高熱は出ていたのだけれど、なんとなく安心していました。

ところが土曜日に母と夫がお見舞に行った時は
すでに意識がほとんどないようで、
「木曜日あたりから、目もほとんど見えていないようです。」と看護師さんに
言われてしまったそうです。

母もここのところ調子が悪く、少し前までは月、金とお見舞に行くようになっていたのに
もうほとんど行かなくなってしまいました。
「動機がする、息がうまくできない。」と言うのです。
これはもう神経からくるものとしか思えません。
それでも、土曜日は夫が車でお見舞に連れて行ってくれたので
何とか行ってくれたのだけど、もう母はお見舞に行くのは無理かなと思いました。

私ががんばらなくては! そう思ってしまいます。
こんな時、兄弟姉妹がいたらなぁ。

娘達は家事は手伝ってくれるけれど、私の替わりに父のお見舞に行ったり
つきそいをしたりは無理です。
「できない。」と言っています。
やっぱりいざとなったら、私しか付いができる人はいないようです。
でも家事を手伝ってくれるようになっただけでもありがたいですけどね。

火曜日は病院では入浴の日。
送迎バスの中で、顔見知りになった方が「今日はお風呂の日だから嫌だわ。
(入浴の間廊下で待っているので、お見舞の人は居場所がなくなる。)
お父さんどう?入れるの?」と聞いてきました。
「うちはもう無理ですね。熱もあるし。」
「そうよね。重病人は着替えをしただけでも良くないと言うものね。
お風呂になんて入ったら大変よね。」
「そうですよねー。」
そんな会話をしました。

お風呂にもずっと入っていないから、死ぬ前にもう一度お風呂に入らせてあげたかったな。
そんなことを思いましたが、やっぱりそんなことしたら大変なことに
なってしまいそうだから、無理だろうなと思いました。

ところが病室につくと、「お風呂に入ります。」と看護士さんが言うのです。
「えっ?!大丈夫なんですか?」とびっくりして聞くと
「熱が37.5℃なので、サッと行ってサッと帰ってきます。」

えー。熱もまだあるのに。
本当に大丈夫なのかな?
と心配しつつ、廊下の椅子で待っていました。
この日、父の病室に新しく入ったという方の奥様と話をしていると
父がストレッチャーで戻ってきたようでした。

すると急にバタバタしはじめ
「Hさん(看護師さんの名前らしい)!早く来て!!早く!!」
「Mさん(おじいちゃんの苗字)!Mさん!」
「Mさん!わかりますか!」

えー!!
いたったいどうしちゃったの?!
でも誰も私を呼びにこない。
どうしよう。

さっきまで閉まっていた病室のドアがあいていたので
のぞくと、父はたくさんの看護師さんに囲まれて
タン吸引をしていました。
父は苦しそうにうめき声をあげていました。

身体についていた計器は、ピーピーと音をたてて
赤く点滅をくりかえしていました。

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